陶芸家 清水久嗣(楽山窯)

更新日:2019.04.19
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初代楽山氏の頃から遠州流と深い関りのある三重県、楽山窯。
地元の万古焼に高麗の作風を加え、多くの遠州好みの茶碗を生み出してきました。
今回は、楽山窯の四代目当主、清水久嗣(しみず ひさし)さんにお話をお伺いしました。

父の手の平で転がされていたのかな(笑)

-まずは本題に入る前に、久嗣さんの小さい頃の話を聞かせてください。
とにかくよく外で遊んでいた記憶があります。暇さえあれば、野山を駆け回っていたような。
おかげで中学・高校の頃は陸上一筋で、全国大会にも出場させてもらいました。
-それはすごいですね。ちなみに種目は?
110mハードルです。

-小さい頃は、陶芸にそれほど興味はなかったのですか?
いえ、そんなことはありません。
四日市は万古焼の生産地ですから、父(三代 日呂志氏)の仕事も、ごく自然に受け入れていました。
何より、父が仕事をしている姿を見ることが大好きでした。

-ご自身でも作ったりしていたのですか?
そうですね。
絵を描くことも、土をいじることも好きでした。
小学校の2、3年生の頃には「陶芸家になる!」と周囲に宣言していたくらいです。

-それは、ずいぶん早いですね!
 でも時が経つにつれて、やりたい事ができたり、
 他の事に興味が傾いたりしませんでしたか?

それがまったくなかったんですよねぇ(笑)
それこそ高校を卒業する時など、私の周りはみな就職とか進学とかで悩んでいました。
自分が何をやりたいのか分からなかったり、他人の言いなりでいいのかと自問自答してみたり。
でも、そんな思春期の葛藤みたいなものとは、本当に無縁でした。

-作陶は、地道な作業をこつこつと積み上げる仕事です。
 失礼ですが、小学生が見て憧れるような職業ではないと思うのですが・・・
それが楽しそうだったんですよ。
見ていて面白かった。とにかく父が、色々と挑発してくるもので。

-挑発? ですか??
例えば、「見てろよ、この同じ器を1分間で10個作ってみせるぞ!」なんて言ってみたり。
もしくは、私に簡単な作業をやらせて「勝負しよう!」とけしかけてきてみたり。

-ゲーム感覚ですね。
だから、父の仕事を見ていても、まったく飽きるようなことはありませんでした。
恐らく、そうやって私が自然と陶芸を好きになるよう、仕向けていたんじゃないでしょうか。

-お兄さんや弟さん(久嗣さんは男三兄弟の真ん中)も一緒に見ていたのですか?
いいえ、まったく。私だけです。

-お父さま(日呂志氏)は、久嗣さんの陶芸家としての才能を見抜いていた。
 そいうことでしょうか?
それはどうかなあ?
でも今考えると、父の手の平で転がされていたのかなと、そう思いますね。

-お父さまの術中に、まんまとはまってしまったと。
そういうことです(笑)

遠州のバランス感覚が生み出す、アンバランスな美しさ

-遠州好みの一つとして、清水さんが作られている「高麗物」があります。
 朝鮮半島と聞くと、つい青磁や白磁をイメージしてしまいがちですが・・・
 そうではない焼物もあるのですね。

そうですね。
恐らく遠州公は、当時から美術品としてあったものではなく、ごく普通に使われていた器を
茶碗と見立てて、そこに美しさを見出していたのではないかと思います。

-よく雑誌などのメディアで、
 「シンプルを極めた利休、豪快なデフォルメを好んだ織部、バランス感覚の遠州」
 といった評価を見かけることがあります。

 言葉としては理解できても、実際にどう違うのか、初心者にはなかなか分からないものです。
遠州公のバランスというのは、いわゆる均衡というニュアンスとは違うと思います。
例えば中国の焼物は、左右対象で図柄の線の太さも同じという、整った美しさが特徴です。
一方、遠州公が好んだ高麗物には、左右対称のものはあまり多くありません。
図柄の線も、細いところもあれば太いところもあります。
図柄そのものも、一見、何が書いてあるのか分からないものもあります。

-整いすぎず、崩れすぎず、シンプルすぎず、華美すぎず、という絶妙な美意識。 それが、遠州公の「バランス感覚」なのでしょうか。
自然にできるいびつさや、偶発的に起こる不均一を、美しいと感じたのではないでしょうか。

-大げさ過ぎてはいけない、と。
そうですね。作為が見え隠れするようなゆがみ、とも言えると思います。
例えば一つの林檎を想像してください。
皮をむく前は、丸くつるりとした、整った美しさがあります。
でも皮を剥けば、当然ですが、凹凸ができてしまいます。
そんなごく自然な不均一に、遠州公は美しさを感じたのではないかと思います。
ただし、それをわざと下手に剥いてしまっては、自然さは失われてしまいます。

-なるほど。でもそれを焼物で自然に再現するのは難しそうですね。
確かに、意識しすぎてしまうと却って難しいという面があります。
さらに、現在では窯やろくろも高度化しているので、なおさらです。

-嫌でも上手にできてしまう?
そういうことです(笑)

-それで、韓国にも窯をお持ちなのでしょうか。
やはり、現地の土を捏ね、当時のろくろで回し、昔ながらの窯で焼くのがいい。
父が韓国に窯を作ってから50年ほど経ちますが、恐らく、そう考えたのだと思います。私自身、今でも日本と韓国を行き来する生活を送っています。

-無駄も多いような気が・・・
実際、失敗も多いですよ(笑)
例えばうちの窯には、温度計が付いていません。
薪をくべながら目で見て肌で温度を感じて、その日の気候に合わせて焼く。
だから当然、目は離せないですし、見込みを誤ることだって、多々あります。

-こちらの御本茶碗も、そんな風にして出来上がった作品ということですね。
御本とは「手本」という意味なのですが、日本で下絵や切型を作って、
それを「手本」として、朝鮮半島で焼かれたものが、御本茶碗です。
そんな「手本」を造った人物が、遠州公であり、徳川家なのです。

-こちらもそうなのですか?
もちろんです。これは有名な「立鶴」という図柄です。
三代将軍徳川家光が下絵を描き、遠州公がデザインしたものです。

-模様も不規則で、色味もほんわかとしていますね。
確かに、均整の取れたシンメトリーな美しさではありません。
それでいて、青や枇杷色の仄かな斑点模様が一つの碗の中に出ていますよね。
朴訥とした味わいの中にも、煌びやかな明るさがある。
それが遠州流の「綺麗さび」なのかなと感じます。
そんな視点で多くの茶碗を見てもらえると、何か感じるものがあるのではないでしょうか。

-やはり、色々な作品を見てみないと分からないですね。
私も、お家元を始め様々な先生方から「良い物」を数多く見せていただき、
ご指導いただいたことに挑戦していくことで、日々、自分自身の美意識を磨いています。

プロフィール

清水 久嗣(しみず ひさし)  三重県四日市市生まれ/47歳
高校卒業後、アメリカにて美術・デザインを学び、帰国後に父、日呂志氏に師事。曾祖父に当たる楽山氏が開いた楽山窯の四代目当主。