七世 小堀正方(宗友)

小堀宗友作 二重切竹花入 銘あまもり
宗友作 二重切竹花入 銘あまもり

政争に巻き込まれる苦難

七世小堀政方は、大番頭、伏見奉行へと出世。しかし、天明5年、伏見騒動に巻き込まれ、御用金賦課問題等で幕府に訴えられる。これについては当時の政治的背景を考慮に入れる必要がある。田沼時代がちょうど終焉を迎えた時期で、松平定信が老中になり田沼派を一掃した。田沼意次の失脚により、田沼派と見なされた幕閣、諸大名は一掃され、小堀家も改易となり、大名家としての時代を終えた。これを機に小室藩は取り潰しとなり、町が消え去ることとなった。

遠州流茶道の奥義を残す

 茶道に関しては、父5世小堀政峯より茶法を受け継ぎ、小堀家の茶頭であった富岡友喜と共に、「喫茶式」「数寄記録」などを著す。茶道の乱れを嘆き、古儀の伝達と遠州流の正統を伝えるため、遠州流茶道の奥義を残し、今日の遠州流茶道のまとめ役を果たした。また、作品等も数多く伝来している。小堀政方の男子の多くは若くして亡くなり、政方の家系は途絶えることになる。

小室城址
小室城址
近江国浅井郡小室(現在の滋賀県長浜市小室町)