五世 小堀政峯(宗香)

幕府直轄の武官長に抜擢
四世小堀政房(宗瑞)には子がいなかったので、その後は三世小堀宗實の末の子小堀政峯(宗香)が養子となり、五世を継承した。18歳の時に将軍綱吉の小姓となるも、その翌年兄の四世小堀政房が亡くなったことから役を許され、その後本家を継承することとなった。34歳の時に大番頭(おおばんとう)に抜擢される。大番頭というのは幕府直轄の武官の長で、今でいうと自衛隊の統合幕僚長のような存在となる。その後、伏見奉行、さらには吉宗、家重、家治、3代にわたって若年寄を勤めるなど、幕閣の一員として活躍した。若年寄は旗本などを管轄する老中に継ぐ役職で、1万3千石の小堀家にとっての出世頭ともいえる最高位の役職でもあった。
茶道に関しては父宗實が5歳の時に亡くなったため、兄の小堀政房と共に大叔父である十左衛門政貴や土佐守政武から茶法を受け継ぎ、次世代の六世小堀政壽と七世小堀政方に茶法を伝承した。
宝暦10年(1760)12月16日死去。享年71歳。廣徳寺に葬られた。