四世 小堀政房(宗瑞)

四世 小堀政房(宗瑞)
四世 小堀政房(宗瑞)

 将軍綱吉の御前で講釈

 四世小堀政房(まさふさ)は、父小堀政恒(宗實)が46歳で亡くなったこともあり、10歳で家督を継いだ。兄が3人いたが、みな早世したため嫡子となった。茶道ははじめ父である小堀宗實から、父亡き後は小堀家の茶頭であった桜山一有と大叔父である小堀土佐守政武(政貞)より茶法を受け継いだ。小堀政武は小堀遠州の子供の中で、一番出世した人物として知られている。小堀遠州63歳の時の子で、母が徳川家綱の乳母となったことから、政武は将軍との乳兄弟ということになり、小姓となって出世。従五位下土佐守の冠位を得た。小堀政房は将軍綱吉の前で講釈をするなど学にも通じていたが、残念ながら29歳で若くしてこの世を去った。数少ない遺物を見ると、流祖さながらの定家様の箱書もあり、遠江守に叙せられことから「後の遠州」とも呼ばれている。
 正徳3年(1713)10月16日死去。廣徳寺に葬られた。