十二世 小堀正明(宗慶) 

十二世 小堀正明(宗慶)
十二世 小堀正明(宗慶)

「今遠州」として名声を博す

 現代の遠州流茶道の名声を一段と高めたのが十二世小堀宗慶である。大正12年、十一代小堀宗明の摘男としてうまれ、父より幼いころから薫陶を受け18歳にして真台子の伝授を受ける。

学徒出陣、シベリアに抑留

 東京美術学校日本画家に学んだが、昭和18年に学徒出陣。出陣にあたっては、小泉親彦、三井高大、団伊能らの後援で星岡茶寮にて盛大な出陣茶会を催した。昭和20年5月に満州へ行き、8月に当地で終戦を迎え、そのままシベリア・タイシェット地区に抑留された。極寒の中辛苦に耐えて4年後に帰国。昭和25年3月、音羽護国寺において二世宗慶号の襲名披露大茶会が開催される。小堀宗慶の供茶で始まったこの茶会は、大名物茶入「遅桜」、茶碗「馬蝗絆」が使われるなど歴史に残る大茶会となった。

「国民皆茶」をモットーに

 昭和37年父十一世小堀宗明死去により十二世家元を継承、茶道界のリーダーとして、建築から造園、伝統工芸の分野まで指導力を発揮し、東京茶道会の理事長として流儀だけではなく茶道界全体の発展にも尽力した。また、オランダ、シンガポールをはじめ、海外での遠州流普及、親善にも努めた。昭和53年には日本橋・三越記念館で「生誕四百年記念 小堀遠州展」を開催、小堀遠州の名を多くの人たちに広めた。永年の功績に対して平成4年には都知事表彰、平成5年には勲四等旭日小綬賞を受賞。また、香道、大和絵、定家様、茶花も第一人者としての評価を受けるなど、総合芸術である茶道を極めた芸術家として「今遠州」として名声を博した。平成13年、摘男宗実には家元を継承させ、自身は紅心宗慶として十三世家元の後見はもちろんのこと、茶の湯を軸とした幅広い活動を続けた。平成23年死去。89歳だった。

右から、三井高大・十二世小堀宗慶
小泉親彦 厚生大臣
団伊能