綺麗さびの極み

塗師 中谷光哉(中光塗物)

2019.12.6

縦に細長い石川県の南部に広がる加賀温泉郷の中でも、お隣り福井との県境に近い山中温泉。九谷焼と並び称される「山中塗」の里でもあります。
今回は、職人歴66年、御年88にして現役の塗師として活躍する中谷光哉(なかや こうさい)さんにお話をお伺いしました。

茶道具を通じて、漆器の持つ可能性に驚かされました。

-まず初めに、小さい頃のお話を聞かせてください。
私が小さかった頃は戦中から戦後にかけての混乱期。教育制度がころころと変わる時代でね。
尋常小に入学して、国民学校に通って、高等学校を卒業している。
履歴書に書いたら、かなり複雑な経歴ですよ(笑)

-その当時から、
 家業を継いで職人になろうと思われていたのですか?

いいえ、まったく。
小松の工業学校を出てから、金沢の精密機器を作る会社で働いていたくらいですから。

-先代も継がせる気はなかったのでしょうか?
戦争で廃止になっていたので行けなかったですが、親父としては私を商業科に進学させたかったみたいから、その気はなかったのかな?

-商業科、ですか?
そう。ものを作る方ではなく、売る方ですね。
でも「職人」は、作ったものを売ってくれる「問屋」があって初めて成り立つ仕事。
だから、もしかしたらそちらの世界もしっかり勉強させておきたかったのかも知れないですね。
今となっては分からないですが。

-そんな光哉さんが、職人になったきっかけは何だったのでしょう?
就職して1年半程度で、肺を患ってしまったんですよ。
仕方なく山中に戻って療養していたんだけど、周りの同世代(20代前半)はみんな汗水垂らして働いていてね。自分ばっかりのんびりしていていいものかと思って、父親の仕事を手伝い始めたのがきっかけです(笑)

-なるほど。その当時から山中塗では茶道具を作っていたのですか?
いえいえ。ほとんど作っていないですよ。
25歳くらの時かな。たまたま、山中塗の第一人者でもある辻石斎(つじ せきさい)さんの仕事を手伝う機会がありまして。そこでやった、丸めた和紙を伸ばして漆で貼り付けるという技術(=一閑塗)が面白くてね。夢中になって仕事してました。
そんな私の姿を見た石斎さんが、茶道具を専門に作る京都の職人さんを紹介してくれて、そこで一閑塗を修業したわけです。
それまでは身近にある雑器や土産物の工芸品ばかり作っていたから、まあ驚きましたよ。
漆器でこんなものが作れるのか、こんな表現ができるのかと、世界が広がりました。

-そこから、一気に茶道具の道へと進むことになるのですね。
石斎さんや京都の職人さんの手伝いで、棗(茶器)から棚までさまざまな茶道具を作りました。
そんな頃になってからようやく、山中で手伝った石斎さんの仕事が、かの有名な北大路魯山人と一緒に制作した「一閑日月椀」だったと知ったんです(笑)

-金箔と銀箔で太陽と月を表現した、あの有名なデザインの!?
びっくりでしょう。私自身がびっくりしましたよ(笑)
それからまた縁あって、遠州流の先代御家元とお会いする機会に恵まれて、さらにそこで人間国宝にもなる赤地友哉(あかじ ゆうさい)先生から教えを頂くことができました。

-もしかして、「光哉(こうさい)」という名前は・・・
そうです。友哉先生の「哉(さい)」を頂いています。

-現在では、息子さんの光伸氏も跡を継がれ、ご家族で制作に取り組まれていますね。
どんな業界でも、後継者の問題は深刻のようです。
職人仕事だけで生計を立てるのは本当に厳しい時代ですからね。
そうは言っても、手仕事には手仕事の良さと言うか、手仕事でしか出せないものがある。
手仕事の大切さを忘れずに、将来に向けてそれをしっかりと伝えていきたいと思っています。

道具は使われてなんぼ。茶席で使われている姿を見て欲しい。

-数々の茶道具を作ってきた光哉さんから見て、遠州流の魅力はどのようなところですか?
そもそも千家さんの茶道具作りからこの世界に入ったので、初めて遠州流の茶道具を見た時には驚きましたよ。
大名茶道である遠州流では、とにかく細やかで複雑な美しさを追求されます。

こちらは宗実御家元のお好みで作った相応棚です。
柱一つとってもしっかりと細工が施されていますし、欄干にも繊細な透かしが彫られています。
すっきりとした細めのシルエットや、ところどころに使われている曲線のあしらい方を見てもらえると、どことなく優雅な雰囲気を掴んでいただけるのではないかな。

-全体的に優しい印象です。
そうですね。
一般的な茶道の棚と言えば、四角くてシンプルで、素朴な味わいのあるものを想像されると思いますが、かなり違うでしょう。
-細かい透かし彫りなどは、思わず見入ってしまいますね。
でも実際のところ、茶道において「棚」は、このような鑑賞のされ方はしないんですよ。

-どういうことですか?
棚はそもそも単体で使うものではありませんよね。
ここに様々な茶道具がセットされて初めて、その存在に意味が出るものです。

-それは確かに。さまざまな茶器が置かれている状態で、皆さまの前に出てきます。
その時に、個々の主張が激し過ぎるとお互いを引っ張り合ってしまう。一つの棚でも、そこにどのような茶道具を合わせるかで、それを使う人の個性が出てくるものなんです。
職人の作った「棚」としてではなく、ぜひお茶の席で、実際に使われている茶道具としての「棚」を見て欲しいですね。

-最後に、遠州流の茶道具を作る上で大切にしていることを教えてください。
御先代宗慶宗匠から頂いた2つの言葉がとても心に残っています。
それは、「用を足す」それから「作家になってはいけない」というものです。
-どのような意味でしょう?
茶道具は飾っておくものではなく、使うものであるということ。
そして、職人は芸術家ではないということ、そう理解しています。
-先ほどの、「実際に使われている棚を見て欲しい」という考えとも一致しますね。
確かに遠州流の茶道具は見た目にも気を遣います。
でもだからと言って、使い勝手を無視しては意味がありません。
道具はあくまでも道具。芸術作品ではないのですから、「見られるもの」としてのアピールが過ぎては、本末転倒になってしまいます。

プロフィール

中谷光哉(なかやこうさい) 北海道小樽市生まれ 88歳
会社勤めの後、辻石斎のすすめで茶道具作りの修業し、山中に戻り初代が開いた工房を継承。赤地友哉に学び、遠州流の茶道具を数多く手掛けている。


古田 宗祥 鳥取支部理事/上席家元参与

2019.09.5

勘違いしていませんか?
茶道は地味ではありません!
~大人しい子ほど積極的になれるのが茶道の魅力~

茶人一家に生まれた古田宗祥さん。幼少期から茶道と共に育ったご自身の経験から、幼稚園や小学校などさまざまな場所で子どもたちに茶道を教えています。
また、お父さまの中尾宗澄氏と共に立礼の教室を開くなど、積極的に遠州流茶道の普及に携わっています。

-遠州流茶道を始めたきっかけを教えてください。
父(中尾宗澄氏/前本部理事長)が遠州流をこよなく愛しており、物心のつく前から遠州流の茶道がすぐそばにあったというのが正直なところです。
幼稚園の園長先生も遠州流で、卒園時に園長先生からお誘いをいただき、小学校1~3年生の時は園長先生のお宅でお稽古をつけてもらいました。そして4年生になって、父や園長先生の師である家元補佐 一庵 加須屋宗生先生のもと、正式に遠州流に入門しました。
言うなれば、父と私は“兄弟弟子”ということになりますね。

-お父さまから教えを受けたことは?
子どもの頃は父も現役で仕事をしていましたから当然ですが、退職後に自分のお稽古場を開いてからも、父に教えを受けたことはありません。きっと、親子で師弟関係を維持するのは難しいと思っていたのかも知れませんね。
確かに私も、自分のお稽古を父に見られるのはあまり心地の良いものではなかったので、父が師匠だったら、続けられていたかどうか・・・(苦笑)
最近になってから、「えっ! 親子だったの!?」と驚かれることもあります(笑)
3月の遠州忌では、父を正客として私がお点法を披露する機会を頂いたのですが、本当に幸せなひと時でした。心なしか父も、いつもより顔が綻んでいたような気がします。

-現在は、小さいお子さんたちに積極的に教えていらっしゃいますね。
物心ついた頃には茶道をやっていたので、今の自分は茶道を通じて作られたと感じています。今こうして、私が子どもたちと向き合い、お茶を続けることが、師の一庵 加須屋宗生先生始め、茶道を通じて私と関わってくれたすべての方への恩返しと思っています。

-小さいお子さんに茶道を教える時、特に気をつけていることはありますか?
まだ手も身体も小さい子どもたちですから、基本的にお点法は難しいです。上手くお茶なんて点てられませんし、帛紗捌きなどもってのほか。それよりも、お茶やお菓子を通じて、私や同席する人との関わり方を中心に教えています。
例えば「お先です」「大変、結構でございます」「ごちそうさまでした」の言葉は、必ず言うようにしています。小さい子どもというのは、新しく覚えた言葉はすぐに使いたくなるものです。最初は意味など分からなくても、使い続けていくうちに、これらは相手を思いやるための言葉なのだと、自然と気づいてくれます。また、左利きの子がいたとしても、無理やり右手を使わせることはしません。でも、自分が左手で使った箸は、きちんと右側に置こうね、と教えます。そうすれば、次の子が箸を使いやすいでしょ、と。

-子どもたちが、茶道を通して成長したな、と感じるのはどんな時ですか?
床の間に飾る花が変わっているのを見つけたり、掛軸に書かれている文字の意味や読み方に興味を持ったり、身の回りのちょっとした変化に気づけるようになった姿を見た時などは、成長を感じます。そこから、このお花は幼稚園の裏の森で摘んできたんだよ、といった具合に点と点をつなげたりしてあげることで、子どもの世界がぐっと広がっていくのも感じます。
こういった、ちょっとした気づきの積み重ねが、相手を思いやる気持ちやおもてなしの精神につながっていくのだと思います。

-小さい頃から茶道を習うメリットは、どんなことですか?
一般的に言われているように、集中力が身に付くというメリットはあると思います。私自身、小学校5年生の時に、お点法をしている時には何も考えていないという“無の境地”を体感しましたから(笑)。
姿勢を始めとした所作の美しさも、小さい頃ほど差が際立ちますね。放課後のクラブ活動で教えている小学校の卒業式などに出席すると、その違いは歴然です。
でも実は、例えば引っ込み思案なお子さんだったり、大人しいお子さんだったり、そのようなお子さんこそぜひ茶道をやってみて欲しいと思っています。
茶道は、自分ですべてを行わなければなりません。もちろん、お茶会の時などは役割がありますが、一度お客さまの前に座ってお点法を始めたら、最後まで自分ひとりでやり切らなくてはなりません。お茶を点てるのもお客さまとお話しをするのも、すべて自分ひとり。
静かではありますが、決して大人しいものではないのです。
やんちゃなお子さんには落ち着いた心を学んでもらえると思います。消極的なお子さんなら、自ら動く積極性を身に着けられるでしょう。あまり感情を表に出さないお子さんでも、しっかりと心の中に溌溂とした気持ちを育むことができると思います。
茶道を通して身につくことは、本当に多いですよ。

-遠州流の特色は、どんなところですか?
所作やお点法、立ち居振る舞い、取り合わせ・・・一つひとつが美しく、総合的な美を感じます。
お道具組が豊かで、お着物も華やかなものや綺麗なものでも選べます。

-茶道の時の着物というと、
 どうしても地味なイメージがありますが・・・

千家さんなどいわゆる“詫び寂び”と呼ばれる世界観は、余分なものを可能な限り削ぎ落したシンプルさが特徴です。きっと茶道と聞くと、そちらのイメージが強いのでしょうね。
でも遠州流の“綺麗さび”は、質素な中にもきらりと輝く華やかさのある世界です。だからお着物にしても、色無地だけでなく訪問着や付下げなども多く使用されます。四季折々の綺麗な着物を着ることができるのは、女性からしてみれば、大きなポイントかも知れません。
だからこそ、若い女性にも、もっともっと遠州流茶道に触れていただきたいですね。自分が最も綺麗な時に、華やかな着物を着た凛とした姿を、美しい所作で立ち振舞う姿を、たくさんの人に見てもらうことができる。
こういった経験は、女性としてのその後の人生にも、必ず生きるはずだと思います。

プロフィール

古田 宗祥(ふるた そうしょう)
出身地:鳥取県 年齢:62歳 茶道歴:52年
所属支部:鳥取支部(鳥取支部理事/上席家元参与/元青年部全国連合会理事/元遠州流茶道連盟本部理事)


呉服 江澤秀治(ちくせんや)

2019.07.2

かつて浴衣などで名を馳せた老舗の屋号を受け継ぎ、浅草は寿町で二代に亘って続く呉服店「ちくせんや」。実店舗を持たずに客先へと出向いて誂える「背負い呉服」のスタイルを今なお貫く二代目の当主、江澤秀治(えざわ ひではる)さんにお話をお伺いしました。

-創業当時から、店舗のない『誂え』専門だったのですか?
先代が創業した時からです。
色や柄などお客さまの好みを聞いてから誂えるのでオリジナリティの高い着物が作れること、
そしてお店を構えないで済む分、人件費も維持費も掛からないから安くできるのが特長です。
ご自身を「悉皆(しっかい)屋」と表現する江澤さん。
いわゆる悉皆屋という言葉を聞くと、着物の洗い張り(洗濯)や染み抜きといったメンテナンスをしてくれる職人さんを思い起こす方も多いも知れません。
しかしかつては、「残らず、すべて」という「悉皆」の意味通り、「着物のことならすべて引き受けることができる」ということを指し、悉皆業を主とする呉服店も数多く存在したのだとか。
作りたいお客さんの意向を聞いて、職人たちを動かす。それが江澤さんの仕事です。

-職人さんをコントロールするのは、難しそうです。
確かに、着物の職人といっても必ずしも着物を着ているわけではありません。
そのためか、飾って『魅せる』ことを重視しがちです。でも着物は、人に着られた時にどう見えるかが最大のポイント。
その観点から見ると、職人さんは『描き過ぎ』てしまうことが多いので、そこはちょっと苦労しますね(笑)

-実際にお客さまと職人さんの間に入るのは、
 とても大変だと思います。
 どちらの知識も必要と言うか・・・

その通りですね。
着物を着る人の好みやデザインを作る人の好みを把握するには、それなりの知識もセンスも重要です。
それらを職人に分かりやすく説明するには、やはり作り手としての知識も必要になります。

-まるで、アートディレクターのようなお仕事ですね。
 遠州流では毎年、お家元が帛紗をデザインされますが、それを手がけているのが江澤さんです。

先代の頃からお家元とはお付き合いをさせていただいていますが、それこそセンスの塊のような方なので(笑)。 日々、お家元の意向に添えるよう自分自身も磨いています。

他流派も注目する、遠州流の帛紗

-帛紗と聞くと、どうしても赤や紫の無地のものを連想してしまいます。
それはもしかしたら、学校の授業などで習ったり見たりした記憶があるのではないでしょうか?

-確かに、小さい頃のクラブ活動などで、そんな風景が目に焼き付いているのだと思います。
そもそも帛紗には、この色でなければいけないという決まりはないと思います。
少なくとも遠州流に関して言えば、お道具の中でもかなり自由度が高いのではないでしょうか。

-遠州流以外の流派でも、そういうものなのですか?
そんなことはないようですね。
私自身も、先代紅心宗慶宗匠の御実弟である戸川宗積先生に学ばせていただいた身ですが、
やはり遠州流の帛紗が最もデザイン性には秀でていると思っています。

-遠州流ならではの魅力といっても差し支えないでしょうか?
いいと思います。
実際にさまざまな先生方からも、他流派の方から今年の遠州流の帛紗はどうかしらと質問される機会も多いとお聞きしました。

-なるほど、他の流派の方々からも注目されているのですね。
お道具の中でも、帛紗は最も地味な部類に入るかも知れません。
でも、そんな消耗品ともいえるような存在ですらおろそかにしないのが、遠州流の美意識だと感じます。

-それでは実際にいくつか、見せていただきたいと思います。
こちらは、今年の夏用(右)と冬用(左)の使い帛紗です。
使い帛紗とは、お点法の時に茶道具のお清めで使用する帛紗のこと。腰に差しているものです。
2色であったり、鮮やかな朱色であったりと、実にデザイン性の高い印象を受けると思います。

-こんなツートンカラー(左)の帛紗もあるのですね!
2色に分かれているのは、今年が平成から令和に変わる改元の年であることを表現しています。
そして、裏表合わせると全部で31の七宝紋と菊花紋があしらわれています。

-31ということは、平成31年ですか?
その通りです。
毎年、干支を始めその一年を連想させる特長的な事象をデザインに取り入れたりするのですが、
何とも遊び心に溢れた斬新なデザインですよね。およそ私の頭の中にはないアイデアです。

-江澤さんにとって、もっとも印象に残っている作品はどれでしょう?
こちらの、「遠州紋紗」ですね。
左側が完成品で、右にあるのは完成のひとつ前の試作品。完成まで実に1年以上を要しました。
透かしをあしらった織帛紗なのですが、夏の絽として出し帛紗を作るのは初めての試みでした。
あまり他の流派でも見かけないと思います。

-涼やかでぱりっとした感じのする、洗練されたデザインですね。
最終的に、菊花紋2か所と七宝紋1か所に銀泥をあしらいました。
このたった3か所の銀泥のバランスが、地の縹(はなだ)色の涼やかさを、より一層引き立てていると感じませんか?
こういったアイデアのセンスは、やはりお家元ならではですね。

-実際に手にしてみると、軽くて柔らかいのですね。
この柔らかさを実現するのも、本当に苦労しました。

-柔らかな手触りというのは、やはり重要なのですか?
織物である以上、手触りは大切な要素です。
でもそれ以上に、帛紗の茶道具としての役割が重要なのです。
帛紗というのは、基本的に小さく畳んで使用するものです。
生地が固いと折り目が跳ねてしまう、つまり、折る前の状態に戻ってしまったりするのです。

-ここまで大きな一枚の織物ですから、当然、使用する時には何度も畳むことになるわけですね。
そうなのです。
ところで、大きさの話が出ましたが、実はこのサイズの出し帛紗を使用するのも、遠州流ならではだと思います。他の流派では、この4分の1程度の大きさの「小帛紗」と呼ばれるサイズのものを出し帛紗として使用するのが一般的です。

-それはどうしてなのでしょう?
正確なところは分かりませんが、遠州流が武家茶道であることと関係があると思っています。

-武家茶道ならではの、ダイナミックさ!
はい。武士である以上、人からどう見られるかというのも重要です。「見栄」や「気位」ですね。
大きく流れるようなお点法が特長の遠州流ですから、使用するお道具もやはり存在感のあるものの方がいい。私はそんな風に感じています。

-なるほど。説得力があります!
あくまでも私の感じ方なのですが・・・
でも、このような楽しみ方があってもいいのではないでしょうか。
あまり型にはまらず、見たままを感じるような、そういう視点で見てみるのも面白いものです。

プロフィール

江澤 秀治(えざわ ひではる)  東京都台東区生まれ
サラリーマンを経て、飯田橋の呉服店で修行。28歳で父が創業した店を持たない誂え専門の呉服店「ちくせんや」を継ぐ。二代目当主。


齋藤 宗純 東京支部/全国青年部連合会理事

2019.04.19

映画はエンドロールまで見るようになりました(笑)
~目にするものの、その後ろ側まで見たくなる~

航空自衛隊で建築系の仕事に従事している齋藤宗純さん。仕事柄、3年ほどで異動を繰り返しながら日本全国を渡り歩いているそうで、これまでに所属した支部の数は実に7つ。
現在は東京支部にて、全国青年部連合会理事を務めています。

-なぜ、茶道を始めたのですか?
入門したのは今から20年近く前になります。
当時、私が仕事をしている航空自衛隊では、イラクやクウェートといった海外地域への派遣が多く、私も派遣要員として希望していました。もし派遣された際には、現地の方と交流したいと考えていたところ、たまたまアラブ諸国ではお茶好きな方が多いという話を聞いたのです。
そこで、日本の代表的な文化の一つである茶道を、お茶好きなアラブの方々に披露できたらいいなと思い、入門に至りました。

-それまでに茶道の経験はありましたか?
いいえ、一切ありません。生まれは岩手なのですが、それこそ小さい頃は野球一色で、茶道の「さ」の字も知りませんでした(笑)
それなのに、イベントや体験教室などに行くことも一切せず、タウンページを開いて近くの教室を探し出して、いきなり教室の門を叩いてしまいました。今考えれば、かなり無謀な話です。

-なぜ、数ある流派の中から遠州流を選んだのですか?
入門にあたっていろいろと調べていたところ、小堀遠州や片桐石州といった名前を見つけました。元々、歴史好きだったため、思わず飛びついてしまいました。そして「武家茶道」という言葉に行きつき、「習うならこれだ!」と(笑)
その中で、たまたま家に近く通いやすそうだったのが、秋田支部の故根田宗哲先生の教室でした。もしあの時、秋田という遠州流の盛んな地域に赴任していなかったら、他の流派の茶道を習っていたかも知れません。
ですので、申し訳ないのですが、他の流派との違いを知った上で選んだわけではありません。ただ、私が言うのも変ですが、それでいいのかなと思います。私のように、「ただ歴史が好きだったから武家茶道という言葉に反応してしまった」という理由でも、始めれば良い出会いは必ずありますから。

-実際に入門されて、いかがでしたか?
まず初めに、女性の多さに驚きました(笑)
宗哲先生も、お名前の漢字を見て「どんないかついお爺ちゃんなんだろう?」と思って行ってみたら、とても品のいいお婆ちゃんで。もちろん、お弟子さんも私以外はすべて女性でした。
茶道が女性の嗜みであるということは知っていたつもりなのですが、恐らく武家茶道という言葉の響きから、勝手に「その中でも男性が多いのではないか」と思っていたのでしょうね。
職場が男性ばかりですから、決して悪い気はしませんでしたが(笑)

-ご自身で感じる、遠州流の特色は、どんなところですか?
イベントなどで他の流派を拝見する機会も多くありますが、お点法(お点前)が流れるように進むのでとても綺麗だなと感じます。
それから、高名な先生方との距離感が近いというのも、遠州流の良いところではないでしょうか。私でも年に2回くらいは、お家元の眼前でお点法を披露する機会がありますが、他の流派ではなかなかないことのようです。お家元に会える機会すら滅多にないと、お聞きしました。

-茶道を通して身についたと感じることはありますか?
身に付いたことと言えば、やはり、おもてなしの心です。
お茶会などでは、お客さまに美味しいお茶を召し上がっていただくために様々な趣向を凝らしてお迎えするのですが、客として参加したり、亭主として先生のお手伝いをしたりといった主客両方を経験することで、もてなすということの意味を、きちんと理解できるようになったと思います。
それは簡単に言ってしまえば、一番に考えるのは自分のことではなく、相手のことだということでしょう。言葉にすると簡単なのですが、それを実感させてくれたのが茶道です。

-茶道を経験することで、それ以前とは変わったなと思うことはありますか?
おもてなしの意味とも関係するのですが、日常生活の至る場面で目にするものや口にするもの、手に触れるものを大切にするようになったと思います。作った方のことはもちろん、素材や作り方、歴史など、それらの背景というものを考えるようになりました。相手のことを第一に考えるという精神に通じるものだと思います。
例えばですが、映画はエンドロールまでしっかりと見るようになりました(笑)
仕事柄、色々な土地に行っていますので、ロケ地のことも気になるようになりましたし、どなたが方言指導や所作指導をされているのかも気になるようになりました。気が付くと、その奥にまで考えを巡らせているのです。

-最後に、ご自身にとって茶道とは何ですか?
心の中までご指導いただける、素晴らしい精神的な修行の場だと思います。
不思議なもので、雑念が入ったお茶をお出しすると、必ず先生に見透かされてしまいます。間違えないようにしよう、綺麗に見せようと思うと、すぐにお叱りのお言葉が返ってくるのです。
現在の世の中は、どちらかというと見た目を重視しがちな社会です。特に仕事をしていると、体裁だけ繕うような場面に数多く遭遇します。そして、そのような場面で卒なくこなせることが求められる社会であるとも言えるでしょう。
そんな中で、茶道は、見た目ではなく中身が重要だと気付かせてくれる場です。 これからもずっと、私にとって茶道は、自分自身を磨き高めるための勉強の場であり続けてくれると思います。

プロフィール

齋藤 宗純(さいとう そうじゅん)
出身地:岩手県 年齢:42歳 茶道歴:18年 所属支部:東京支部(全国青年部連合会理事)


陶芸家 清水久嗣(楽山窯)

2019.04.19

初代楽山氏の頃から遠州流と深い関りのある三重県、楽山窯。
地元の万古焼に高麗の作風を加え、多くの遠州好みの茶碗を生み出してきました。
今回は、楽山窯の四代目当主、清水久嗣(しみず ひさし)さんにお話をお伺いしました。

父の手の平で転がされていたのかな(笑)

-まずは本題に入る前に、久嗣さんの小さい頃の話を聞かせてください。
とにかくよく外で遊んでいた記憶があります。暇さえあれば、野山を駆け回っていたような。
おかげで中学・高校の頃は陸上一筋で、全国大会にも出場させてもらいました。
-それはすごいですね。ちなみに種目は?
110mハードルです。

-小さい頃は、陶芸にそれほど興味はなかったのですか?
いえ、そんなことはありません。
四日市は万古焼の生産地ですから、父(三代 日呂志氏)の仕事も、ごく自然に受け入れていました。
何より、父が仕事をしている姿を見ることが大好きでした。

-ご自身でも作ったりしていたのですか?
そうですね。
絵を描くことも、土をいじることも好きでした。
小学校の2、3年生の頃には「陶芸家になる!」と周囲に宣言していたくらいです。

-それは、ずいぶん早いですね!
 でも時が経つにつれて、やりたい事ができたり、
 他の事に興味が傾いたりしませんでしたか?

それがまったくなかったんですよねぇ(笑)
それこそ高校を卒業する時など、私の周りはみな就職とか進学とかで悩んでいました。
自分が何をやりたいのか分からなかったり、他人の言いなりでいいのかと自問自答してみたり。
でも、そんな思春期の葛藤みたいなものとは、本当に無縁でした。

-作陶は、地道な作業をこつこつと積み上げる仕事です。
 失礼ですが、小学生が見て憧れるような職業ではないと思うのですが・・・
それが楽しそうだったんですよ。
見ていて面白かった。とにかく父が、色々と挑発してくるもので。

-挑発? ですか??
例えば、「見てろよ、この同じ器を1分間で10個作ってみせるぞ!」なんて言ってみたり。
もしくは、私に簡単な作業をやらせて「勝負しよう!」とけしかけてきてみたり。

-ゲーム感覚ですね。
だから、父の仕事を見ていても、まったく飽きるようなことはありませんでした。
恐らく、そうやって私が自然と陶芸を好きになるよう、仕向けていたんじゃないでしょうか。

-お兄さんや弟さん(久嗣さんは男三兄弟の真ん中)も一緒に見ていたのですか?
いいえ、まったく。私だけです。

-お父さま(日呂志氏)は、久嗣さんの陶芸家としての才能を見抜いていた。
 そいうことでしょうか?
それはどうかなあ?
でも今考えると、父の手の平で転がされていたのかなと、そう思いますね。

-お父さまの術中に、まんまとはまってしまったと。
そういうことです(笑)

遠州のバランス感覚が生み出す、アンバランスな美しさ

-遠州好みの一つとして、清水さんが作られている「高麗物」があります。
 朝鮮半島と聞くと、つい青磁や白磁をイメージしてしまいがちですが・・・
 そうではない焼物もあるのですね。

そうですね。
恐らく遠州公は、当時から美術品としてあったものではなく、ごく普通に使われていた器を
茶碗と見立てて、そこに美しさを見出していたのではないかと思います。

-よく雑誌などのメディアで、
 「シンプルを極めた利休、豪快なデフォルメを好んだ織部、バランス感覚の遠州」
 といった評価を見かけることがあります。

 言葉としては理解できても、実際にどう違うのか、初心者にはなかなか分からないものです。
遠州公のバランスというのは、いわゆる均衡というニュアンスとは違うと思います。
例えば中国の焼物は、左右対象で図柄の線の太さも同じという、整った美しさが特徴です。
一方、遠州公が好んだ高麗物には、左右対称のものはあまり多くありません。
図柄の線も、細いところもあれば太いところもあります。
図柄そのものも、一見、何が書いてあるのか分からないものもあります。

-整いすぎず、崩れすぎず、シンプルすぎず、華美すぎず、という絶妙な美意識。 それが、遠州公の「バランス感覚」なのでしょうか。
自然にできるいびつさや、偶発的に起こる不均一を、美しいと感じたのではないでしょうか。

-大げさ過ぎてはいけない、と。
そうですね。作為が見え隠れするようなゆがみ、とも言えると思います。
例えば一つの林檎を想像してください。
皮をむく前は、丸くつるりとした、整った美しさがあります。
でも皮を剥けば、当然ですが、凹凸ができてしまいます。
そんなごく自然な不均一に、遠州公は美しさを感じたのではないかと思います。
ただし、それをわざと下手に剥いてしまっては、自然さは失われてしまいます。

-なるほど。でもそれを焼物で自然に再現するのは難しそうですね。
確かに、意識しすぎてしまうと却って難しいという面があります。
さらに、現在では窯やろくろも高度化しているので、なおさらです。

-嫌でも上手にできてしまう?
そういうことです(笑)

-それで、韓国にも窯をお持ちなのでしょうか。
やはり、現地の土を捏ね、当時のろくろで回し、昔ながらの窯で焼くのがいい。
父が韓国に窯を作ってから50年ほど経ちますが、恐らく、そう考えたのだと思います。私自身、今でも日本と韓国を行き来する生活を送っています。

-無駄も多いような気が・・・
実際、失敗も多いですよ(笑)
例えばうちの窯には、温度計が付いていません。
薪をくべながら目で見て肌で温度を感じて、その日の気候に合わせて焼く。
だから当然、目は離せないですし、見込みを誤ることだって、多々あります。

-こちらの御本茶碗も、そんな風にして出来上がった作品ということですね。
御本とは「手本」という意味なのですが、日本で下絵や切型を作って、
それを「手本」として、朝鮮半島で焼かれたものが、御本茶碗です。
そんな「手本」を造った人物が、遠州公であり、徳川家なのです。

-こちらもそうなのですか?
もちろんです。これは有名な「立鶴」という図柄です。
三代将軍徳川家光が下絵を描き、遠州公がデザインしたものです。

-模様も不規則で、色味もほんわかとしていますね。
確かに、均整の取れたシンメトリーな美しさではありません。
それでいて、青や枇杷色の仄かな斑点模様が一つの碗の中に出ていますよね。
朴訥とした味わいの中にも、煌びやかな明るさがある。
それが遠州流の「綺麗さび」なのかなと感じます。
そんな視点で多くの茶碗を見てもらえると、何か感じるものがあるのではないでしょうか。

-やはり、色々な作品を見てみないと分からないですね。
私も、お家元を始め様々な先生方から「良い物」を数多く見せていただき、
ご指導いただいたことに挑戦していくことで、日々、自分自身の美意識を磨いています。

プロフィール

清水 久嗣(しみず ひさし)  三重県四日市市生まれ/47歳
高校卒業後、アメリカにて美術・デザインを学び、帰国後に父、日呂志氏に師事。曾祖父に当たる楽山氏が開いた楽山窯の四代目当主。